みなさん、こんにちは。
お金持ちになって美味しい物を食べたい、夢見がちな主婦ふとしです。
ふとしは主婦ですが、毎日のご飯支度にうんざり。
がまんして仕方なくこなしている日々です。
作りますよ、作りますけどねぇ
貧乏だし、おまけに物価は上がるし。
それに我が家にはまだ中学生もおりますし。
栄養を考えれば、お家で作ったご飯が一番ですもの。
そりゃ作りますよ。
でもね、少ない家計費で買える食材は限りがあるし、更にその中から献立を決める煩わしさったら。
それだけでも十分嫌なのに、夫のせいでトラウマ的にご飯の支度が嫌なんです。
なんでかって?
それは、ふとしが疲れてようが、体調が悪かろうが、ぜーったい妻にご飯の支度させる夫が家に一人いるからです
疲労困憊の妻が起きるまで待つ夫
昔々まだ若い頃の話から始まります。
慣れないパート務めでクタクタのふとしは、よくでコタツで寝落ちしてました。
何度か意識が戻るけれど起き上がれない。
そんな時ふと隣を見ると、ただじーっと新聞やテレビを見ている夫が視界に入ります。
「ああ、今晩カップラーメンにしよって言ったら何て言うかな。」
「もう夫からカップ麺にしよって言ってくんないかな。」
「いっそ自分でお湯沸かしてよぅ。」
ボーっとしながらそんなことを考えてると、いつの間にかまたストンと眠りに入ってしまいます。
次に目が覚めると、夫はさっきと全く変わらぬ姿でリラックス中。
ふとしは口を開く力もないまま、またあれこれと考えます。
「カップ麺だと栄養が足りないかしら。めったに食べないんだけどなぁ。」
「お弁当とかだったらいいかな。」
「ああ今のうちに夫が買ってきてくれたらどんなにいいか…。」
そしてまたスーッと意識が遠のいて、次の目覚めでも同じことの繰り返し。
何度目かに目が覚めて、動かない体をギシギシと回して壁の時計を見ると、もうお弁当を買いに行く時間はありません。
自分だけだったら食べないで寝てしまいたいくらいでしたが、義父母や子供たちがいましたのでそういう訳にはいきません。
何かは用意しなくては…。
何かは…。
深く深くため息をつき、這いずって台所へ向かいます。
冷蔵庫にすがって立ち上がり、腰をかがめて見上げるように中を眺めていると、夫がのっそり入って来ました。
「なんか手伝うよ。」
なんか?
手伝う?
ぼーっとした頭で夫の言葉を何度か反芻しました。
手伝う…手伝うかぁ…。
それは前提としてふとしが作る人で、夫が手伝う人なのね。
つまりそれは…。
「お前が作れ」ってことじゃん。
本当に。
台所の入り口まで、本当に這ってきたのに…。
当時のふとしには自分が家政婦か従業員のように感じられる時が沢山ありました。
いや、お休みも貰えないなんて…。
ふとしは馬車馬だったのでしょうか。
倒れたまま起き上がれず、使い物にならないと判断されたらとどめを刺されていたのでしょうか。
あぁ…這ってでもご飯を作ってよかったわぁ。
くすん。
言葉が変わっても中身は変わらず
そんなこんなで何十年。
何度も何度も同じことを繰り返して現在へ。
毎回鬼の形相になる妻の気持ちをさすがに察したらしい夫は、最近は台所に来てこう言います。
「何かやることある?」
「手伝う」が禁句だってことに気付いたの?
やっと何十年もかかって。
やっと…やっと…。
しかし言葉が変わっても意味は同じです。
絶対自分でご飯の支度をする気がないの。
必ず妻の後から台所に入ってくるじゃない。
だから本当は手伝いが欲しい時でも、あんまりイラーっとしちゃうと追っ払いたくなっちゃいます。
仏頂面で「大丈夫」と一言。
すると、手伝い不要の免罪符を得た夫はいそいそと引き上げます。
こういう時の夫は、頭からつま先まで全身に微弱電流でも流れるように、妻のイライラのツボを余すところなくついて来ます。
包丁を持っている更年期の女をあまり刺激しないで下さい。
料理の何が大変かを知らない夫へ
お料理の大変さというのは作ることだけではありません。
家族の好みを考えて、健康を考えて、予算を考えて、献立を考える。
必要な食材を買って、調理方法を工夫し、家族のスケジュールに合わせて作り、器に盛り付け、配膳・提供する。
調理器具や食器を洗い、拭き、収納する。
もちろん食べながら感想を聞き、また作るかどうか、材料や味付けなど修正する余地はあるか検討することも忘れません。
本当に本当にめんどくさい作業です。
それを一日2~3回。
そして毎日。
対して、夫の場合は台所に来てもお手伝い程度。
一部の作業を指示されてやるのと、自分で一連の流れを考えながらやるのでは雲泥の差ですことよ。
でもやったことない人には分からんでしょう。
この大変さは。
そこで提案。
夫よ。
たまにでいいから
「カップ麺にしよう。」とか
「お弁当でいいじゃん。」とか
夫から言って下さい。
支度が出来ない時に、それを悔いている妻の罪悪感が軽くなります。
子供たちはカップ麺を喜んで食べたけれど、ふとしの中では自分が手を抜いたという感覚から抜け出せない時が多かったのです。
それは今でも多少残っていますが、大人になった娘たちは察してくれます。
ふとしの代わりにご飯を作ってくれたり、
敢えて
「今晩はカップ麺でいいと思うよ。食べたいなぁ。」
と言ってくれる優しさ。
夫も見習ってほしいものです。
あと、ごくたまにでもいいから
「何か食べに行こうか。」と夫から提案して下さい。
疲れ果ててたまりかねて「外食がしたい」と言い出す妻の敗北感を薄めて下さい。
誘われてしぶしぶ
「え?そぅお?じゃ行く?」
って感じで出かけてみたいものです。
ね、大したことないささやかなお願いでしょ。
まあ、やらないでしょうけどね。
知ってんだけどね。
言ってみただけだから。
しくしく…。
↓ 期待した分、不満になるのよ。知ってんだけどね…。
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どうぞ主婦ふとしに哀れみのぽちりを下さいな。