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老母の姿は我が行く道か…

皆さんこんにちは。
50代おばさん、しろいふとしです。

 

久しぶりに実家に行ってきました。

80代の母は一人暮らし。
老いても口は達者です。

 

「呼んでないよ」

呼ばれたから行ったつもりの実家でしたが、本人曰く
「呼んでないよ。」

 

ああそうですか。
覚えてないならそれでもいいか。

 

そう思いつつも、事前のやり取りをいくつか話して聞かせているうちに
「ああ!そうそう、そうでした!」

本人も自覚がある通り、最近は物忘れが前より増えましたね。
それでも、畑に出たりとまだまだ元気そうではあります。

 

車で気軽に帰れる距離なのになかなか足が向かないのは、会えば必ず喧嘩する仲だから。

 

徹底的に相性が悪いのです。

自由で気ままでエキセントリック

多分本人は自覚がないでしょうが、すごく独特なマイルールで生きている女性。

 

何の根拠があってそういう考えや行動に至るのか。
理解できないけれど、本人だけは自信たっぷり。

 

あまりの自信の持ち様に、一旦は言うとおりにするしかなくなります。
だって絶対譲らないって分かっていますから。

 

違うんじゃない?
こうしなきゃダメ?
どっちでもいいんじゃない?

 

疑問、疑問、疑問のまま言うとおりにやって、結局感じた疑問のとおりだった時のむなしさ。

 

母本人はいたってのんきに
「あら?違った?ごめんなさいねぇ。」
程度の気軽さ。

 

気にする様子もないので反省もしませんし、何だったらすぐ忘れちゃいます。

 

何度も同じ痛手を受けたくはないと
「前こうだったじゃん…。」
と事前に指摘しても
「そんなことはなかった!」
と強気の否定が帰ってきます。

いつもブンブンに振り回される娘ふとし。

ぐふぅぅぅ…!

時には、内臓が致命傷を負ったようなズドンと重いダメージを受けることもあります。

 

本音を言えば、あまり会いたくない相手なのです。

そうは言っても心配は心配

相性が悪くても会えば喧嘩でも、心配しない訳ではありません。

 

高齢だし、一人暮らしだし。

 

健康状態

地震

強盗のニュース

 

離れていれば不安に思うことは沢山あります。

 

 

何年も前から一緒に住もうと話はしていますが、母もふとしとは性格が合わないと感じているらしくなかなかウンとは言いません。

 

確かに同居したら、朝から晩まで喧嘩している日が沢山ありそう。

 

だからと言って今のままで良くはないだろうと思うのですが
「ぽっくり逝くからいいんだよ。」
と本人は楽観的。

 

ねぇ、でもさ。
人間はね、そう簡単にぽっくりとは逝けないんだよ。
大抵の人は何日も何か月も、時に何年もかけてゆっくりと旅立つのよ。

 

知ってるでしょ。
だって今一人なのは、何人も家族の最後を看取ってきたからだし。

 

人生のその最後の最後に、たった一人だったら?
娘としては、そんな風に親に逝って欲しくありません。

 

しかし母が一人で生活してきた数年間は、寂しくもあったけれど自由でもあったよう。
よほど切羽詰まらなければ、その自由を手放す気にはなれないみたい。

 

なるべく最後まで一人で頑張りたい。


そう思う気持ちを尊重したいと思いつつも、いざという状態からいきなり親の介護が始まる事にも不安は募ります。

親子とはいえ分からないことは多い

一緒に住んでいればお互いの事をある程度把握することは可能。

 

食べ物の好み
衣類などの収納場所
持ち物
貴重品の管理

でもふとしが嫁入りして実家を出てからもう30年近く経ちます。

 

今日突然母が救急車で運ばれたとしても、ふとしに分かるのはいつも持ってるバッグの置き場所程度。

 

保険証にお薬手帳
着替えの肌着
タオル類などなど

入院に必要なものは意外と多く、義父母の入退院の際はひと仕事でした。

 

もし母に意識があれば、あれやこれやと指示を出すでしょうが、言われた場所に目当てのものがあるかどうかは怪しいものです。

 

最後は実家の家探しをする羽目になるかもしれません。

 

加えて

 

付き添い
各種手続き
親戚等への連絡
実家の猫の世話

自分の仕事と家庭を回しながら、これらを同時進行する。

 

ああ、考えただけで目が回りそう。

 

義父母のお見送りをしてから相当経ちますが、2人のお世話をしていた頃を思い出して不安になります。

だんだん似てくる外見と中身

子供の頃は父親にそっくりと言われていたふとしですが、成人後は年々母親に似てくる自分に驚きました。


肌や髪質の変化や老化が女性特有の変わり方で、それが同性である母親の姿に似ているように感じます。

 

約30年後の自分か…。

 

母を見ながら、そこに将来の自分を見ることが出来ます。
自分がこれから行く道を透かして見せてくれる、親ってそういう有難い存在。

 

しかし外見はともかく言動までは似たくはないと、自分の中で母親は常に反面教師の立ち位置。
自分も三人の娘を持つ母親だからこそ気を付けたい。

 

ただ最近その気持ちがいつまでもつか、ちょっと自信が無くなってきました。


年齢を重ね、記憶力が低下して自制心が薄くなり、もともとの勝手気ままな性質が抑えきれなくなったら…。

 

いち子になだめられ、に子に呆れられ、さん子に泣かれながら
「ぽっくり逝くからほっといとくれ!」
と言う自分の姿が見えなくもない…。

 

母親の言動に、あれほどじれったく、腹立たしく、時には悲しい気持ちにすらなったことも忘れ、同じような姿で同じような事を言う可能性も否定できません。

 

もがいて頑張って、でも気付くとじりりと寄っている。

 

老化、恐るべし…。

 

いつかは自分も自由で気ままなおばあちゃんになっちゃうんだとしたら、実家の母親への怒りも少し割り引かなきゃいけないんでしょうね。

 

とは思いつつ…。

 

結局、いつものように喧嘩して怒って無言になって家に帰ってお酒を飲んでぐちぐちと文句を言う、大人げない50代の娘ふとし。

あーあ…。
今日も優しくできなかったと自己嫌悪。
レモンの缶チューハイがほろ苦く感じる夜でした。

 

あーあ…。

 

 

【過去記事】
↓ だいぶ前に書いたもので読みにくいところもありますが、義父母との同居で辛かったころのお話しを書いてます。
「老い」に寄り添うしんどさを思い出しちゃいます。

siroihutosi.com

 

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